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滋賀県近江八幡市 旧 中川煉瓦製造所ホフ... 滋賀県近江八幡市 旧 中川煉瓦製造所ホフ... 2008/8/4(月) 午後 7:02 7月16日 レンガ造りの縄縫工場を後にし目的の全国に4基しか現存しないホフマン窯へいざ行かん。 レンガ積みの高い煙突が見えてたんで目印に、た ...
西牧場の箱 近江八幡の西牧場の箱を古いと思われる順に並べてみた。 西牧場は、もともと牧場経営だったそうなのだが、 昭和元年(1926年)に牛乳販売を行うようになったそうな。 そのあたりの沿革は西牧場のHPに書かれている。 写真1枚目の箱が一番古く、「ホモゲ牛乳」「ヨーグルト」と 書かれているのに対して、写真2枚目以降の箱には すべて「ホモゲ牛乳」「ジャージー牛乳」と書いてある。 HPによると、ジャージー牛乳は40年ほど前からだそうな。 西牧場のHPにかなりくわしく記載されているので ここで能書きをたれるよりは、西牧場のHPを読んでいただきたい。 尚、「ホモゲ牛乳」と「ジャージー牛乳」についても いろいろ書いているサイトがあるが 下記のサイトのURLを貼っておくので参照していただきたい。 他にもいろいろなサイトがあり、どれも参考にさせて いただいたりしてはいるのだが、あえて、このサイトを貼っておく。 西牧場 滋賀県近江八幡市出町135 西牧場のHP ↓ http://www.e-nishimilk.com/conce
滋賀県近江八幡市 旧 中川煉瓦製造所ホフマン窯 7月16日 レンガ造りの縄縫工場を後にし目的の全国に4基しか現存しないホフマン窯へいざ行かん。 レンガ積みの高い煙突が見えてたんで目印に、たどり着けました。 「社会福祉法人一善会・赤煉瓦の郷」が管理されてるので事務所で尋ねる。 個人の私物なんでとおっしゃられ記帳を頼まれましたがちょっと撮影だけですのでと・・・。 案内して頂ける事と思ってましたが・・・甘かった^^; 勝手に徘徊することに・・・考えが甘かった・・・草ぼうぼう私は草にかぶれるんです。 建物&(ホフマン窯)が草に埋もれてる・・・暑いしーー;夏に来るもんじゃないですね〜草を掻き分け撮影しましたが・・・何がなんだかわからない建物の撮影になっちゃいました^^; 窯の部分にはなんと内部に入れないように蓋が?勝手に入れないんで隙間から内部を撮影撤退 そこいらじゅう身体がかゆ〜ございました(涙) 他の方のHP画像レンガ積みの建物&ホフマン窯の内部など綺麗な画像で見させて頂いてるんで 画像を頂き説明したいですが・・・やめました。 秋に機会があれば・・・ま
お菓子と観光だって☆ 昨日は帰宅が遅かったせいか朝寝坊をしたが、今朝は6時起床である。 例の如く庭と畑を一回りしてPCをONにした。 エコノミー症候群という症例を耳にする。 昨日は「これがそうなのか」という事実を目の当たりにした。 目覚めて寝室からの階段を降りるとやけに膝とふくらはぎが痛む。 起床が遅かったので朝の連ドラを見ながら朝食をとる。 胃の薬と利尿剤を飲むのが朝の仕事でもある。 ふと足をみるとむくんでいる。 前日の行動を検証してみると午後3時前に車に乗車した。 高速に乗ったのは午後4時過ぎである。 岐阜県内で通勤割引の為に高速を降りて給油をした。 その時は車から降りたが午後11時の帰宅まで乗ったままだったのだ。 足元は広いが所詮、軽のワゴン車である。 トイレ休憩をすることもなく同じ姿勢で走り続けたが原因のようである。 マッサージをしたり、足を高めにして寝ていた。 今朝は元に戻ったので安心はしたが注意しなければいけないと思う。 そんな事もあり、昨日は投稿を済ませ、請求書作りをしただけだ。 PCの横にあるテ
「ごめんなさい…」江戸時代の反省文が見つかったそうで…。 滋賀県近江八幡市の長命寺で、江戸時代にお寺に落書きをした巡礼者が書いた反省文が見つかったそうです。つい最近まで落書き騒動がメディアで取り上げられていましたが、江戸時代にも落書きってあったのですね。あたりまえといっちゃぁ当たり前ですが。。。 今回発見されたのは「楽書誤証文(らくがきあやまりしょうもん)」というもので、1799〜1802年に書かれた反省文6通だそうです。現在「らくがき」は「落書き」と書くのが一般的ですが、当時は「楽書」と書かれていたのですね。 県教委によると、文書には、巡礼者が「御法度」の落書きを書き始め、見つけた僧侶にしかられ、「恐れ入り」「今後道中では一切落書きしません」と同行者と連名で誓ったことが署名、拇(ぼ)印付きで記される。 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008072400045 まさに反省文ですね…。 反省文を書いた者の住所には長崎や埼玉などの遠方の住所もあったそうで、当時の庶民の凄まじいほどの行動範囲の広さを改めて感じることができますよね。だって当時は歩きですよ…。 やっぱり旅
伊崎不動の棹飛堂 この写真は滋賀県近江八幡市にある伊崎不動寺の棹飛堂です 毎年8月の第一日曜日の午前中には、 このお堂から水面に突き出た木の竿先から湖に飛び込む、お祭りがあります 詳しく書かれているページがございますのでこちらをご覧下さい http://chibaphoto.jp/saotobi/saotobido.html この日は琵琶湖にいますので時間があればのぞきに行こうかと思います
夫婦都市 みなさんはこのお話、ご存知でしたか? 富士山雑話 No35 富士山と琵琶湖 富士山が出現したとき、同時に琵琶湖が水を湛えたという話が、室町時代ころ諸説語られました。 そうした話が元になったのでしょう、「神様と天狗の力比べ」「大男の話」などの、 富士山の成立伝説がいくつもあります。その内のひとつ「日本一の山と湖」は、次のようなお話です。 昔、神様たちが集まって国造りの相談をし、 まず日本一高い山と日本一大きな湖を造ることになりました。 そこで、日本一高い山を造る所を駿河国と決め、その土を近江国から運ぶことにしました。 山は一夜のうちに造ることになり、力持ちの神様が夕方から近江国の土を大きなもっこに入れて運びました。 明け方近くになって、あと一もっこで山が出来上がると、 最後の一杯を担ぎあげたとき、一番鶏が鳴いてしまいました。 神様はがっかりして、土をこぼしてしまいました。そのために、富士山の頂上が平らになってしまいました。 それで、駿河には日本一高い富士山ができましたが
自転車の携帯ダメ!pr 滋賀 URL ▲TOP PR (株)トイダ 輸入車、国産車、特殊車輌にバイクまで!何でも揃えます!安心カーライフサ ケンズカー・コンサル ケンズカーコンサルは滋賀県栗東にあるボルボ専門店、自社PDIセンターに それか 構成されている団体(会長:冨士谷英正 滋賀県近江八幡市長)で、平成20年7月現在で24団体が 愛媛大会のPRビラをお配りし、夜に行われました情報交換会でも参加者に対してPRを行いまして、参加のよびかけを行いました。 特に、とある県外の市の方から また 日:2008/07/01(火) 23:28:35.84 ID:4MiRrhBS0 西武は相変わらずPR下手だなぁ 渋谷西武とかいい店入ってるのに全然客い 94 さすが我らがケーズや 633 名前: キナガニオトス(滋賀県) [sage] 投稿日:2008/07/02(水) 00:49:22.57 ID:GIVTK1FH0 子供は子供だもんね 以前出典: ウィキペディア(Wikipedia) [PR] 豊胸とバストアップ [PR] 葬儀・葬式の費用無料見積もり-八王子・千葉・横浜・堺市 (3)三角形(胸)(4)円形(腹) (5)
【 257 】 「今後一切落書きしません」 近江八幡 「今後一切落書きしません」 近江八幡 江戸期の反省文発見 ・西国三十三所の第31番、古刹(こさつ)・長命寺(滋賀県近江八幡市)で、 江戸後期の寺に落書きをした巡礼者が記した反省文が見つかり、 23日、県教委が新たに県指定文化財に指定した。 国内外の名所や文化財に日本人が落書きをして社会問題化しているが、 江戸期でも観光寺院が同じ悩みを抱え、対策に腐心していた様子がうかがえる。 見つかったのは、「楽書誤証文(らくがきあやまりしょうもん)」で、 1799(寛政11)−1802(享和2)年の6通で、 いずれも縦23・7−28・7センチ、横32・9−39・2センチ。 県教委によると、文書には、巡礼者が「御法度」の落書きを書き始め、 見つけた僧侶にしかられ、「恐れ入り」「今後道中では一切落書きしません」と 同行者と連名で誓ったことが署名、拇(ぼ)印付きで記される。 6通は文面はほぼ同じで、「落書きに困った寺側が
[歴史][HISTORY][日本]「今後一切落書きしません」 近江八幡 江戸期の反省文発見 京都新聞 ■[歴史][HISTORY][日本]「今後一切落書きしません」 近江八幡 江戸期の反省文発見 京都新聞 新たに県指定文化財となった長命寺文書の「楽書誤証文」。落書きを見つかり「今後道中で行いません」と同行者と誓ったことが記される(大津市・琵琶湖文化館) 西国三十三所の第31番、古刹(こさつ)・長命寺(滋賀県近江八幡市)で、江戸後期の寺に落書きをした巡礼者が記した反省文が見つかり、23日、県教委が新たに県指定文化財に指定した。国内外の名所や文... http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008072400045 以下はてなブックマークのコメントより 今このときに出てくるっていうのが何とも(笑)。高校の反省文みたい。 "『楽書』という字に、落書きに対する当時の庶民の気分が分かる。連帯責任で証文を書かせるのは一見厳しいが、証拠能力はなく、モラル回復の思いが強かったのではないか。不心得者に罰を科し、良心に訴える寺の大人 比喩ではなく本当に僧侶道徳だったというわけか。 書いた本人たちは数百年後にこうやって晒されるとは思って
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